「おはよう」
朝、換気のためにゾウ舎の扉を開ける。「ダダダン、ダダダン」こちらの気配を察知して、奥の鉄製の扉を鼻で叩く音、ミネコ流の手荒い朝の挨拶がかえってくる。(どれくらい手荒いかというと、何度か修理を依頼したくらい…)
その音を聞けば、顔を見なくても分かる。「今日も元気だな、ミネコ」
1987年4月に先代の「みね子」が亡くなった。後継として、その年の6月に「スズコ」が来園し、12月に「ミネコ」が来園した。
自分が飼育員になったのが1988年4月からなので、実際に来園したところは見てはいない。現在、500頭近くいる動物たちの中でも、チンパンジーの「ゴヒチ」、シロテテナガザルの「アニーとユウタ」、そして数羽のフラミンゴたちと並ぶ、数少ない先輩動物の「スズコ」と「ミネコ」。そのほかの動物たちはすべて代替わりしている。
動物の寿命は案外短い。(いや、人間が長いのか)

ミネコ来園時の新聞記事
自分は、はじめからゾウ担当だったわけではない。最初はライオンやカバ、キリンやキジ類を担当し、10年が経過したある日、「大内くん、ゾウやってくれないか」と天の声。
新婚(ホヤホヤではないが)の自分に白羽の矢が刺さるとは、これも運命かと考え「もしゾウにやられたときは自分の愛情不足のせいだ」と、鳥小屋を掃除しながら覚悟を決めたことを今でも覚えている。
ゾウの飼育法は、簡単に言うと、直接ゾウと接する「直接飼育」、柵越しでゾウと接する「間接飼育」、柵越しでトレーニングを施しながら管理する「準間接飼育」に分けることができる。各飼育法にはメリット、デメリットがあり、「直接」ではゾウの近くでケアができる反面、飼育員がゾウからの攻撃などで危険にさらされる、「間接」では、飼育員の安全は守られるが、ゾウへのケアができないなど、一長一短がある。そこで「準間接」という飼育員も安全で、ゾウにトレーニングを施しながらケアをするというやり方が、現在の主流になっている。
当園は、獣舎の関係で昔ながらの「直接飼育」を行っている。「直接飼育」で一番大事なのはゾウとの信頼関係。初見で嫌われてしまうと一生慣れないといわれているので、ゾウとの馴致には多くの時間を費す。そしてゾウに認められた頃に、号令をかける訓練を開始し、指示通り一人でゾウを動かせるようになれば一人前だ。と、口でいうのは簡単だ。
実際、近くで見るゾウは大きく、前情報でゾウは危険だと認識しているので、なかなか平常心でいるのは難しい。慣れるまでは、先輩のいう事をよく聞いて、そばを離れないように接するしかない。だいたい顔見せで半年、一人で動かすには一年以上の時間を要する。
当園の場合、おとなしい「スズコ」から訓練を開始し、出来るようになったら「ミネコ」に挑戦するという「ならわし」がある。ゾウ担当者の中でも、ミネコは一目置かれていた。2頭の一人前になるには何年かかるのか…。
また、慣れたからと油断してはいけない。地震や、救急車のサイレン、散歩中の犬の鳴き声などでゾウは驚き興奮してしまうことがある。その時にそばにいたら、巻き込まれて大事故になってしまう。ゾウと接している時はほんの少しも気が抜けない。

ミネコとのトレーニング
ミネコと歩んだ27年間の思い出
成人式
二十歳を迎えた2頭、「成人式やるぞー」と先輩の一声で、ゾウたちの顔や爪などにチョークでお化粧を施す。塗りながら2つの素朴な疑問が…。
「この模様に法則性はあるのかな?」「後でチョークはきれいに落ちるのかな?」
気に入ったかな、ミネコ

左:ミネコ 右:スズコ
リーダー格
少し臆病なスズコに代わり、ミネコはいつも先頭にたっていた。寝室から外へ出すとき、外から寝室に帰る時は、常にミネコの動きにスズコは合わせていた。ミネコが出ないときは出ない、帰らないときは帰らない。また、寝室で横になって休む時も、ミネコが先に横になってからスズコも横になるし、新しいプールが完成した時も、ミネコの後について水浴びをしていた。
一方で、トレーニングに飽きたミネコは、スズコをそばに呼んで訓練の邪魔をさせ、そのすきに「おいとま」する強者。逆にスズコが呼んでも知らんぷりでエサを食べているミネコ。
スズコは良き相棒だったな、ミネコ

左:ミネコ 右:スズコ
広くなった展示場
2009年6月から12月にかけて、グランド拡張工事を行った。以前はコンクリートの床にプールのみのシンプルなグランドだったが、砂場や一回り大きなプールを新設し、広さも従来の2倍になった。暑い日などは気持ちよさそうに水浴びする姿や、豪快な砂浴びを見ることができた。人間の子どもだと、砂遊びのあとには手洗いをするが、なぜかゾウたちは、水浴びの後にはたくさんの砂を体にかけまくっていた。
そのまま油に入れたら天ぷらになるな、ミネコ

左:ミネコ 右:スズコ
東日本大震災発生
2011年3月、日立市でも震度6強の揺れを観測した。その日、自分は休みだったが急いで動物園に来てみると、余震の揺れで2頭とも興奮して走り回っていた。なんとか部屋に収容したが、ライフラインが止まり暖房も使えず寒い夜を過ごさせてしまった。その後一週間は、朝の掃除とエサやりが終わると、飼育員たちも近くの給水所などに応援に向かった。この時、改めて動物園は平和の上に成り立っているなと実感した。
ふびんな思いをさせたな、ミネコ
食欲の秋
秋になるとゾウ舎周りのケヤキの木が落葉する。この時期、ミネコは空堀の遠くに落ちた落ち葉に、鼻息をかけて近くに寄せては集めて食べていた。のちに大学生の研究で、ミネコは鼻息の強弱をコントロールしていることが分かった。
賢いぞ、ミネコ

空堀の落ち葉を集めるミネコ
動物が好きでこの職業を選んだが、人間関係で2回ほど挫折しそうになった。
1度目は、ゾウ担当になって数年目、先輩とどうしても意見が合わず「もー辞めてやるー」と思い、管理事務所に駆け込んだ。あいにく所長は不在で、かわりにいたのが事務員の笹村さん。自分の顔を見るなり「大内さん、よく来たね。お茶飲んでいきな。」よほどひどい顔をしていたのだろう。一杯のお茶と笹村さんの笑顔に救われた。
2度目は、自身の家庭の事情で、目標を失い自暴自棄になり、「仕事も辞めちゃおうかな」と思っていた。ちょうどそのころは、2頭のゾウも元気な盛りで、毎日の訓練もかなり手こづっていた。周囲の助言もあり「さすがにこの状態では見捨てられないな」という思いに辿りつき目が覚める。元気すぎた2頭に救われた。
現在、自分が飼育員として働いていられるのは、笹村さん、ミネコ、スズコのおかげだ。

左:ミネコ 右:スズコ
闘争
いつも仲のいい2頭だったが、2012年頃から不穏な空気が流れ始めた。スズコがお尻の方からミネコに近づく行動がしばしば観察された。ある日、事務所で会議があり、少しだけゾウから目を離さなければならず、売札さんに「ゾウに何かあったら呼んでね」とお願いした数分後、「ギャー」という売札さんの悲鳴。「やばい」と思いゾウ舎を見ると2頭が争っていた。ゾウのケンカはお互い「ワーワー」騒いですると思いきや、意外にも無口(無音)でお互いに体を押し合い、鼻でたたき合い、後足で蹴り合っていた。そこには2頭の足音だけが響いていた。2頭を引き離すために水をかけたが、テンションが下がらず。「何とかしなければ」という思いで、ゾウ班の仲間と仲裁に入り2頭を分けることができた。今思えば、ゾウたちよりもハイテンションだったかな…。この日以降、2頭の関係性が微妙になり、グランドでは分けて展示するようになった。
闘争の原因ははっきりとはしないが、若干力をつけたスズコがミネコに戦いを挑み、返り討ちにあったと推測している。
やっぱり強いな、ミネコ

左:ミネコ 右:スズコ
新型コロナウイルス
2020年、新型コロナの蔓延で、動物園も長期の臨時休園を余儀なくされた。いつもはたくさんのお客さんに見られている2頭も、見える人間は飼育員のみ。心なしかのんびりしているように見えた。
リラックスできたかな、ミネコ

左:スズコ 右:ミネコ
闘病
ミネコは以前から左後足を痛めることが多く、そのつど消炎剤を塗ったり、ひどい時は痛み止めを処方してもらっていた。症状は良くなったり、悪くなったり…。また、2020年頃からは足の引きずりに加えて「あれ?少し痩せてきたかな」という見た目の違和感もあらわれはじめた。しかし、採食量や排便量にあまり変化がなかったので様子を見ることに。2022年9月中旬には両前足が棒のように突っ張る症状があらわれた。後日、回復はしたもののその日を境に、横になって休まなくなった。
ゾウの会議などでも、「座れなく(横になれない)なると危険信号だ」という報告も出されていた。
従来、採血や削蹄はゾウを横に寝かせて行っていた。しかし、座れなくなったので、立ったままでもできるトレーニングに切り替えた。ミネコは意外にもすんなり受け入れてくれた。
左:スズコ 右:ミネコ
立ったままのトレーニングもすぐに覚えた
2025年、壁などに寄りかかっている時間が多く、あまり歩かなくなっていた。12月に入ると前足も引きずる状態に。
2026年1月には、立っているのもやっとの状態で食欲もかなり低下していたため、外へは出さず室内で過ごさせた。2頭を離してしまうとお互いに不安になるため、スズコも付き添いで室内にとどめていた。しかし、ミネコの体力は日に日に、限界に近づいていると感じていた。

寝室内でのケア中
倒れる前日、いつもはいやいや食べる薬入りの煮サツマ団子を、おいしそうに手からパクパク食べてくれた。ミネコが見せた最後のやさしさだった。
がんばったな、ミネコ
12,473,819人
ミネコが来園してから倒れるまでの入園者数。たくさんのお客さんを出迎えてくれたね。
おつかれさま、ミネコ

ミネコと桜
最後に
たくさんのお客様から、ゾウたちへの励ましの言葉や差し入れをいただきました。
また、体調不良時にアドバイスをいただいたゾウ飼育園館様、歴代のミネコ担当者、そして、ミネコに会いにきてくれた多くの皆様に、この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。
「おはよう」
静かな朝の、はじまりだ。
ありがとうミネコ 飼育員おおうち