このたび、私は今月末(2025年3月31日)をもって動物園を退職することになりました。2007年7月1日付で園長として着任し、17年9か月にわたる在任期間という事になります。一介の市役所事務屋であった私は着任時51歳で、右も左も分からない動物園の世界にいきなり放り込まれ、しかも園長という職を任され気がつけば一度は60歳で定年を迎え、その後非常勤嘱託や会計年度任用職員として首をつないでもらいながら今年で69歳!通算約18年もの間、動物ド素人の私が市役所の機構とはある種一線を画す世界にとどまり続けられたことに私自身驚いています。また同時に感謝しているというのが正直な気持ちです。私たちは、いわゆる宮仕え、人事異動や任期満了に伴う退職は当たり前の世界ですので、いつかはこの時が来るとは思っていましたが、ついに来たか、とやっと現実に引き戻された感じです。そうなんです。私にとっての18年間は、ある意味夢のような世界でした。
思い起こせば18年前の2007年3月末、市民活動課に在籍していた私は当時の市長(故人)から突然呼び出され、「すまないが動物園長やってくれないか」と切り出されたのでした。「すまないが・・・」と切り出されたものの、私の中では、いやいや全然すまなくない、むしろ動物園は実家がすぐ近くで小さいころから庭代わりで遊んでいた場所なのでまさか自分がここで働けるとは夢にも思わなかった、そう、夢の始まりだったのです。もちろん着任早々は事務屋とは違う世界で戸惑うことも多く、また市長から「リニューアルを任せるから来園者数を伸ばしてくれ」という宿題を与えられていて実際夢どころではなかったのですが、それでも市長からは「好きなようにやって良い」と言われていたこともあり(と言いながら結構注文つけられましたが=笑)とてもやりがいを感じていたのは事実です。「チンパンジーの森」から始まり「がおーこく」「新ビーバー舎」まで約15施設のリニューアル事業、この間、ほぼ毎年のように園内からは工事の槌音が途切れることなく続けられました。
動物との思い出もたくさんあります。着任早々キリンがメス1頭だったので市長室に直接呼ばれ「早くオスを入れろ」とハッパをかけられ新米園長が右往左往しながらなんとか入れられたことや、ゾウ舎増築に伴うアメリカバイソン搬出に手こずったり、東日本大震災直後に生まれたライオン3きょうだいの公開ふれあいや「チンパンジーの森」オープン後初の出産から人工哺育・群れ入りまでの顛末、中でも特に印象深いのは2頭のゴリラの死や飼育員のアイデアで生まれた「はちゅウるい館」が建設できたこと・・・などなど思い起こすとキリがありません。2011年から始め毎日のように返信した「園長への手紙」も数えたら18000件にも及び、来園者との良いつながりができました(これも飼育員発案!)。

また、私が市役所時代にやっていた仕事は市民や国・県などとの関係性はあっても基本的に市役所内で完結したのですが、動物園はどうしても動物とのやりとりなどで公立や民間に関わらず多くの動物園との関りが生じます。このためたくさんの園長さんや飼育員さんとの関係性が築かれました。また、動物園には教育や調査研究の側面もあるため大学との共同研究や任期中に始めた「かみねおもしろZOOサロン」など大学の教職者や研究者、文化人、作家、演芸家など動物園以外の多方面にわたる方々ともつながることができ、これら多くの方との出会いと交流は私にとっての大きな財産となり、市役所事務職1本で終わっていたらこうはならなかったと思っています。
書きたいことはまだまだたくさんあります。退職後、もし機会があれば個人的なブログでも始め、そこでまた細かい思い出などを綴っていければと思っています(確約はできません=笑)。
最後になりますが、私の18年間は飼育員・獣医・事務方など園内職員の支えと前述のように他の動物園や関係機関の皆様のご協力があったからこそ成し得たものです。改めてこの場を借りてお礼申し上げます。4月からはまったくの自由人となりますが、その立場を利用してあちこちの動物園水族館を仕事から離れ楽しく巡れたらと思っています。そう、夢は終わらない・・・という事で、どこかでお会いしたらどうぞお気軽にお声掛けください。
18年間ありがとうございました。
(園長 生江信孝)